この日はこの後、みぃちゃんのお誕生日会もやりました。なかなか勢ぞろいすることが少なくなったみぃちゃん一家ですが、流石にお誕生日会は全員集合です。我が家も全員集合で、久しぶりに賑やかな休日になりました。
小学生ダンスィ・ゆぅくんと小学生ジョスィ・あーちゃんの子育てを中心に、パパ目線で家族日記を書いています。子供たちが大きくなった時に振り返ることができればという日常の記録ですが、もしよろしければゆるーい日常にまったりして貰えると嬉しいです。
2019年9月23日月曜日
2019年9月22日日曜日
別れ
我が家の精神的支柱でもあった祖母が、亡くなりました。祖父が亡くなったのが6年前の8月なのですが、享年99歳。そして祖母も享年99歳。もう少しで誕生日、100歳の大台の直前というところまで同じでした。祖父が亡くなる寸前に脳梗塞を患って、祖母はそれ以来寝たきりで、コミュニケーションをとることはできませんでした。食べることが大好きだった祖母は、胃瘻のために口から食べ物を取ることもできなくなってしまいました。晩年の祖母は、ある意味、ただ生かされているだけの状態に近かったかもしれません。
我々側のエゴかもしれません。それでも祖母は我が家の精神的支柱でした。祖母が脳梗塞になった時、あーちゃんはまだ生まれて2ヶ月。妹の子供のよーくんに至っては、生まれる前でした。祖母が寝たきりになっても生き続けてくれた6年間は、あーちゃんやよーくんの記憶にも確かに祖母という人の存在を刻み込みました。あーちゃんは訃報を知って涙を流しましたし、よーくんは天国へ持って行ってもらおうと手紙をしたためました。単に話に聞いた人物ではなく、リアルに接したひぃばぁちゃんとして祖母は次の世代の心にも生き続けます。
母から電話があったのは、17日(火)の午後10時半ごろでした。会社からの帰りの電車の中だった自分は、あとで掛け直すとメッセージしましたが、数秒間隔で何度もかかってきます。その様子から「あぁこれはその時が来たんだな」と思いました。というのも、7月くらいから祖母は微熱が出ては抗生物質で下げるという状態を繰り返していて、もう数日で覚悟しないといけないですよと言われていたのです。それがそれが。この夏に自分たちが帰省した時期でもまだ命を永らえ、ゆぅくん・あーちゃんとよーくんの訪問に目を見開いてくれたのです。その時、覗き込む自分の顔がおばあちゃんの瞳にしっかり写っていたことが、妙に記憶に残っています。
しかし、17日 午後10時にホームから母に入った電話の時点で、祖母のすでに心臓が止まっていたとのこと。夜の見回りで部屋に入った時に、担当の方が祖母が息をしていないことに気づいたのだそうです。もしかしたら、もっと前に亡くなっていたのかもしれません。しかし、何れにせよ、祖母の生命の灯火はスゥッとフェードアウトするように、静かに消えて行ったようです。その瞬間に立ち会えなかったことは、家族にとって心残りではありますが、ひ孫たちの成長を見た上で天国に旅立って行ったのだと思います。
葬儀の都合で、お通夜は19日、葬儀は20日でした。田舎から祖母の弟さんや妹さん(もちろんみな高齢です)も駆けつけてくれましたし、99歳ともなると参列者が少ないのが普通のところ、家族葬のホールに入りきらないほどの人が駆けつけてくれました。誰からも慕われ、自分よりも周囲を優先する気遣い屋さん。おしゃべりが大好きで、食べることも大好き。そして何より、膝の上にゆぅくんを抱っこしているときに満面の笑顔を見せてくれるほど、小さい子供が大好きな、そんなおばあちゃんでした。当時は珍しく父母が共働きの家庭だったので、祖母が実質的に自分と妹を育ててくれたと言っても過言ではない、育ての母。
本当にありがとう。おばあちゃんにとって自慢の孫であり続けること、これからも自分の目標です。
我々側のエゴかもしれません。それでも祖母は我が家の精神的支柱でした。祖母が脳梗塞になった時、あーちゃんはまだ生まれて2ヶ月。妹の子供のよーくんに至っては、生まれる前でした。祖母が寝たきりになっても生き続けてくれた6年間は、あーちゃんやよーくんの記憶にも確かに祖母という人の存在を刻み込みました。あーちゃんは訃報を知って涙を流しましたし、よーくんは天国へ持って行ってもらおうと手紙をしたためました。単に話に聞いた人物ではなく、リアルに接したひぃばぁちゃんとして祖母は次の世代の心にも生き続けます。
母から電話があったのは、17日(火)の午後10時半ごろでした。会社からの帰りの電車の中だった自分は、あとで掛け直すとメッセージしましたが、数秒間隔で何度もかかってきます。その様子から「あぁこれはその時が来たんだな」と思いました。というのも、7月くらいから祖母は微熱が出ては抗生物質で下げるという状態を繰り返していて、もう数日で覚悟しないといけないですよと言われていたのです。それがそれが。この夏に自分たちが帰省した時期でもまだ命を永らえ、ゆぅくん・あーちゃんとよーくんの訪問に目を見開いてくれたのです。その時、覗き込む自分の顔がおばあちゃんの瞳にしっかり写っていたことが、妙に記憶に残っています。
しかし、17日 午後10時にホームから母に入った電話の時点で、祖母のすでに心臓が止まっていたとのこと。夜の見回りで部屋に入った時に、担当の方が祖母が息をしていないことに気づいたのだそうです。もしかしたら、もっと前に亡くなっていたのかもしれません。しかし、何れにせよ、祖母の生命の灯火はスゥッとフェードアウトするように、静かに消えて行ったようです。その瞬間に立ち会えなかったことは、家族にとって心残りではありますが、ひ孫たちの成長を見た上で天国に旅立って行ったのだと思います。
葬儀の都合で、お通夜は19日、葬儀は20日でした。田舎から祖母の弟さんや妹さん(もちろんみな高齢です)も駆けつけてくれましたし、99歳ともなると参列者が少ないのが普通のところ、家族葬のホールに入りきらないほどの人が駆けつけてくれました。誰からも慕われ、自分よりも周囲を優先する気遣い屋さん。おしゃべりが大好きで、食べることも大好き。そして何より、膝の上にゆぅくんを抱っこしているときに満面の笑顔を見せてくれるほど、小さい子供が大好きな、そんなおばあちゃんでした。当時は珍しく父母が共働きの家庭だったので、祖母が実質的に自分と妹を育ててくれたと言っても過言ではない、育ての母。
本当にありがとう。おばあちゃんにとって自慢の孫であり続けること、これからも自分の目標です。
2019年9月15日日曜日
バーベキュー
夏休みの盆踊りのとき、ゆぅくんの保育園のときの同級生のご家族たちとたまたま一緒になり、来月にバーベキューでもと盛り上がったのがついに実現しました。場所はよく行く農業公園なのですが、ここでバーベキューができることを自分たちは知らなかったのですが、あぃちゃんパパが予約を入れてくれていたのです。4家族、総勢15名の大所帯です。
集合は開園の10時。意外にも(失礼!)お客さんがいっぱいで、入園券を買うのにも行列です。アクアチューブで遊ぶのも結構並びました。この分じゃ子どもたちを遊ばせるのが大変だなと思いましたが、場所取りしたところにハンモックがたくさんあって、子どもたちは普段目にしないハンモックに夢中でした。今日2枚目の写真がそのハンモックで遊ぶあーちゃんとお友達です。女の子は、小学4年生の2人のお姉さんチームとあーちゃんと小学1年生の女の子の2チームに分かれて遊ぶことが多かったです。やはり年齢が少し離れるだけで、遊びが違っているのかもしれません。それに対して、男の子は4年生2人と1年生1人の3人がいつも一緒に遊んでいました。
バーベキューは11時半からと早めでしたが、炭や食材などが全て揃っていて、手ぶらで行っても全く問題ありませんでした。今日の1枚目の写真がそのときの様子ですが、これはバーベキュー後にマシュマロをみんなで焼いているところです。炭火でマシュマロを焼くと、こんがり焦げたところが香ばしく、トローりと溶けて甘味が広がります。
午後は女の子4人はお花のタネを使った工作教室に行き、男の子3人はパドルボートやゴーカートに乗ったりして遊びました。結局は夕方5時の閉園までみんなで遊びました。夜ご飯も一緒に食べようかというお話もあったのですが、お義母さんのところへみぃちゃん達が来るというので、そちらに合流することにしました。ゆぅくんの保育園の同級生はみんな仲良しなので、またこんな機会があるといいなと思います。
集合は開園の10時。意外にも(失礼!)お客さんがいっぱいで、入園券を買うのにも行列です。アクアチューブで遊ぶのも結構並びました。この分じゃ子どもたちを遊ばせるのが大変だなと思いましたが、場所取りしたところにハンモックがたくさんあって、子どもたちは普段目にしないハンモックに夢中でした。今日2枚目の写真がそのハンモックで遊ぶあーちゃんとお友達です。女の子は、小学4年生の2人のお姉さんチームとあーちゃんと小学1年生の女の子の2チームに分かれて遊ぶことが多かったです。やはり年齢が少し離れるだけで、遊びが違っているのかもしれません。それに対して、男の子は4年生2人と1年生1人の3人がいつも一緒に遊んでいました。
バーベキューは11時半からと早めでしたが、炭や食材などが全て揃っていて、手ぶらで行っても全く問題ありませんでした。今日の1枚目の写真がそのときの様子ですが、これはバーベキュー後にマシュマロをみんなで焼いているところです。炭火でマシュマロを焼くと、こんがり焦げたところが香ばしく、トローりと溶けて甘味が広がります。
午後は女の子4人はお花のタネを使った工作教室に行き、男の子3人はパドルボートやゴーカートに乗ったりして遊びました。結局は夕方5時の閉園までみんなで遊びました。夜ご飯も一緒に食べようかというお話もあったのですが、お義母さんのところへみぃちゃん達が来るというので、そちらに合流することにしました。ゆぅくんの保育園の同級生はみんな仲良しなので、またこんな機会があるといいなと思います。
2019年9月13日金曜日
運動会
6月のあーちゃんの運動会の日に雨が降ってしまったのですが、雨天中止の予定だったにも関わらず、先生たちのご好意で今日に延期されました。今日も天候はちょっと怪しく、今にも雨が降りそうで肌寒かったのですが、なんとか運動会が開催されました。
年長組のあーちゃんは、たくさんの競技に出場します。まず最初はかけっこです。1学年わずか15人なので、3人ずつ走るのですが、一番外側のコースだったあーちゃんは残念ながら3位でした。その後は親子競技の借り物競走。昨年までなかった競技ですが、あーちゃんと自分のお題は、帽子をかぶった男の人。美人の人とかイケメンの人といった自己申告型のお題ではなかったので、すんなり誰かのお父さんをゲットして、こちらは見事1位を獲得できました。さらに玉入れは年少組・年中組・年長組の合同競技ですが、あーちゃんの赤組は残念ながら2連敗でした。
そしてこのためにこそ毎日練習を重ねたという競技、パラバルーン。最近流行っているようですが、あーちゃんの保育園でも昨年の年長組さんから取り入れられました。6月に向けて練習した演技は6月の運動会予定の雨の日に披露してしまったので、その時とは別のもっと高度な技も取り入れた演技になっていました。子供達だけでホールで練習している時もあったという話を聞いて、15人のクラスメートは赤ちゃんの時からのお付き合いですが、きっといい仲間になれたんだろうなと思いました。いよいよ入場という時、あーちゃんは後ろのお友達と交錯して転んでしまい、そのまま泣いてしまってリタイアとなるかと思ったのですが... なんとなんと、すくっと立ち上がって何事もなかったかのようにみんなの列に戻って行きました。実際は肘から少し出血していたのですが、流石に年長組さんになって成長したんだなと思います。
パラバルーンの後は、年中組さんと年長組さんの合同リレー。あーちゃんのチームは見事に勝利を手にしました。
ゆぅくんの保育園最後の運動会は、一生懸命かけっこやリレーの練習をしたゆぅくんが本番で敗れて涙する光景にジーンとしましたが、あーちゃんの保育園最後の運動会は、15人の仲間で作り上げたバルーンの演技と転んでも泣かずに立ち上がった成長ぶりに感動しました。
年長組のあーちゃんは、たくさんの競技に出場します。まず最初はかけっこです。1学年わずか15人なので、3人ずつ走るのですが、一番外側のコースだったあーちゃんは残念ながら3位でした。その後は親子競技の借り物競走。昨年までなかった競技ですが、あーちゃんと自分のお題は、帽子をかぶった男の人。美人の人とかイケメンの人といった自己申告型のお題ではなかったので、すんなり誰かのお父さんをゲットして、こちらは見事1位を獲得できました。さらに玉入れは年少組・年中組・年長組の合同競技ですが、あーちゃんの赤組は残念ながら2連敗でした。
そしてこのためにこそ毎日練習を重ねたという競技、パラバルーン。最近流行っているようですが、あーちゃんの保育園でも昨年の年長組さんから取り入れられました。6月に向けて練習した演技は6月の運動会予定の雨の日に披露してしまったので、その時とは別のもっと高度な技も取り入れた演技になっていました。子供達だけでホールで練習している時もあったという話を聞いて、15人のクラスメートは赤ちゃんの時からのお付き合いですが、きっといい仲間になれたんだろうなと思いました。いよいよ入場という時、あーちゃんは後ろのお友達と交錯して転んでしまい、そのまま泣いてしまってリタイアとなるかと思ったのですが... なんとなんと、すくっと立ち上がって何事もなかったかのようにみんなの列に戻って行きました。実際は肘から少し出血していたのですが、流石に年長組さんになって成長したんだなと思います。
パラバルーンの後は、年中組さんと年長組さんの合同リレー。あーちゃんのチームは見事に勝利を手にしました。
ゆぅくんの保育園最後の運動会は、一生懸命かけっこやリレーの練習をしたゆぅくんが本番で敗れて涙する光景にジーンとしましたが、あーちゃんの保育園最後の運動会は、15人の仲間で作り上げたバルーンの演技と転んでも泣かずに立ち上がった成長ぶりに感動しました。
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