2013年9月3日火曜日

別れ

祖父が永眠しました。享年99歳なので、大往生と言ってもいいでしょう。それでも家族にとっては悲しい別れではあります。

木曜日は元気にしていたそうで、ホームでお風呂にも入れてもらい「いい気持ちだった」と上機嫌だったそうです。しかし、金曜の朝から調子が悪くなり、母が駆けつけ「ジュースのむ?何ジュースがいい?」「オレンジ」というような会話が結局は最後になってしまったそうです。そのまま看取るか入院するかという選択に迫られたそうですが、母は入院の選択をしました。やはり1日でも長く生きて欲しいという思いで、ちょうど祖母が胃瘻の手術をした病院に入院しました。一度は持ち直し血圧も脈拍も安定したそうで、自分はそのとき電話をもらって危ないかもしれないんだけどちょっと小康状態と聞きました。その日は自分も仕事が忙しく最終電車での帰宅だったのですが、帰ってiPhoneを見てみると夜10時くらいに妹から「病院から呼び出しがあったのでこれから行ってくる」というメールが入っていました。もうこれは覚悟が必要かなと思っていましたが、その日はなんとか持ちこたえてくれたそうで、自分は翌31日(土)の朝から祖父の病院へ向かいました。

昼頃にようやく着いたのですが、いわゆる昏睡状態だったのでもちろん会話はできませんでしたが、「おじいさん」と声をかけると心無しか心拍や血圧などのすうじかが少しよくなったような気がして、声掛けをしていました。ドクターによると、もう老衰と言う表現すべき状態で特定のどこが悪いのではなく身体すべての生命力が消えようとしているので、特別な治療は何もできないとのことでした。父母は昨日も徹夜だったので、一度家に帰ってシャワーを浴びて祖母の様子も見てくると言うので、自分と妹夫婦が病室に残りました。声掛けは相変わらずしていたのですが、16時頃だったか、ナースの方から父母もこちらへ呼んだ方がいいとの話があり、ちょうど祖母のところに行っていた父母に電話しました。それから数字が見る見る悪くなっていき、血圧も14などの低い数値を表示するようになりました。父母が到着したのは16時50分くらいだったでしょうか、祖父の様子は病院に運ばれた時からずっと昏睡状態で変わらず、したがって特段に苦しそうでもないのですが表示される数字だけで様子がわかるような状態です。その数字がみるみる悪くなり、自分や妹夫婦に父母も加えてみんなで必死に声を掛けている様子に、ドクターも来てもらいましたがもちろん特段の治療があるわけではありません。家族で唯一数字が見える場所にいた妹の夫が妹の肩に手を掛け、静かに首を振る。わっと泣き崩れる妹、諦めきれず声をかけ続ける自分と父母。そんななか奇跡的に2回は数字を戻した祖父ですが、3回目はそのまま... あーちゃんも、今月生まれる妹の子供も抱かせてあげたかった。それだけは本当に残念ですが、祖父は自分が到着するのを待って、そして父母の到着するのも待って最大の気掛かりだったであろう祖母がリハビリを頑張っているという様子を聞いて、そして安心して静かに逝ったのでしょう。

自宅に帰りたいと1度ホームを抜け出して自宅に帰ったこともあった祖父、その晩は祖父母の自宅で自分と父母が供養しました。病院から自宅に戻るとき、葬儀屋さんに無理を言って祖母が入院している病院に寄って、ゆっくりとその周りをまわってもらいました。昔から霊感が優れていた祖母は、きっと祖父が近くにきて最後の別れを告げていたことを無意識に分かっていたかもしれません。後から「おじいさんは亡くなったんだよ」と言うと、祖母ははっきりした声で「わかってる」と言いました。

翌1日はお通夜、そして昨日はお葬式でした。思いのほかたくさんの人が弔問に来て下さり、あまり人付き合いが上手な方でなかった祖父なので少ししか来ないだろうという予想は嬉しい方向で裏切られました。祖父は頑固で融通はきかなかったですが、きちっとした真面目な性格はある意味一目置かれていたようでした。

お葬式は雨の中だったのですが、無理を言って車椅子にヘルパーさんも手配してもらって、式の前に祖母にも少しだけ祖父との別れをさせてもらいました。祖母は目を開けることはありませんでしたが、前述のように祖父が祖母の病院まで行って最後の別れをしたことが「わかって」いたのでしょう。