2019年9月22日日曜日

別れ

我が家の精神的支柱でもあった祖母が、亡くなりました。祖父が亡くなったのが6年前の8月なのですが、享年99歳。そして祖母も享年99歳。もう少しで誕生日、100歳の大台の直前というところまで同じでした。祖父が亡くなる寸前に脳梗塞を患って、祖母はそれ以来寝たきりで、コミュニケーションをとることはできませんでした。食べることが大好きだった祖母は、胃瘻のために口から食べ物を取ることもできなくなってしまいました。晩年の祖母は、ある意味、ただ生かされているだけの状態に近かったかもしれません。

我々側のエゴかもしれません。それでも祖母は我が家の精神的支柱でした。祖母が脳梗塞になった時、あーちゃんはまだ生まれて2ヶ月。妹の子供のよーくんに至っては、生まれる前でした。祖母が寝たきりになっても生き続けてくれた6年間は、あーちゃんやよーくんの記憶にも確かに祖母という人の存在を刻み込みました。あーちゃんは訃報を知って涙を流しましたし、よーくんは天国へ持って行ってもらおうと手紙をしたためました。単に話に聞いた人物ではなく、リアルに接したひぃばぁちゃんとして祖母は次の世代の心にも生き続けます。

母から電話があったのは、17日(火)の午後10時半ごろでした。会社からの帰りの電車の中だった自分は、あとで掛け直すとメッセージしましたが、数秒間隔で何度もかかってきます。その様子から「あぁこれはその時が来たんだな」と思いました。というのも、7月くらいから祖母は微熱が出ては抗生物質で下げるという状態を繰り返していて、もう数日で覚悟しないといけないですよと言われていたのです。それがそれが。この夏に自分たちが帰省した時期でもまだ命を永らえ、ゆぅくん・あーちゃんとよーくんの訪問に目を見開いてくれたのです。その時、覗き込む自分の顔がおばあちゃんの瞳にしっかり写っていたことが、妙に記憶に残っています。

しかし、17日 午後10時にホームから母に入った電話の時点で、祖母のすでに心臓が止まっていたとのこと。夜の見回りで部屋に入った時に、担当の方が祖母が息をしていないことに気づいたのだそうです。もしかしたら、もっと前に亡くなっていたのかもしれません。しかし、何れにせよ、祖母の生命の灯火はスゥッとフェードアウトするように、静かに消えて行ったようです。その瞬間に立ち会えなかったことは、家族にとって心残りではありますが、ひ孫たちの成長を見た上で天国に旅立って行ったのだと思います。

葬儀の都合で、お通夜は19日、葬儀は20日でした。田舎から祖母の弟さんや妹さん(もちろんみな高齢です)も駆けつけてくれましたし、99歳ともなると参列者が少ないのが普通のところ、家族葬のホールに入りきらないほどの人が駆けつけてくれました。誰からも慕われ、自分よりも周囲を優先する気遣い屋さん。おしゃべりが大好きで、食べることも大好き。そして何より、膝の上にゆぅくんを抱っこしているときに満面の笑顔を見せてくれるほど、小さい子供が大好きな、そんなおばあちゃんでした。当時は珍しく父母が共働きの家庭だったので、祖母が実質的に自分と妹を育ててくれたと言っても過言ではない、育ての母。

本当にありがとう。おばあちゃんにとって自慢の孫であり続けること、これからも自分の目標です。